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2010.05.21

tsuglagkhang temple,mcleod ganj(dharamsala),india


ダラムサラに着いたその晩、嘔吐と下痢に苦しめられた。
おそらく夕飯があたったのだろう。
夜中に何度も部屋と外のトイレを往復する。
幸いなことに、翌日からはシャワー・トイレ付きの快適な部屋に移ることができたので
無理はせず、しばらく静養に費やすことにした。

ダラムサラはのんびりとするにはいいところだ。
眺めはいいし、チベタンばかりでいつものしつこい客引きもいない。
ダージリンとも少し似ているが、ダラムサラのほうがややツーリスティックか。
wifiカフェが至るところにあるし、イタリアンレストランなんてのもある。
ヨガや料理教室も充実していて、長期滞在の旅行者が多そうだ。
南インドは、(ビーチを除いて)あれほど旅行者がいなかったのに、
こんなところにみんな集まっていたのか!という感じである。

中国政府に追われたダライ・ラマ14世が1960年に亡命して以来、
ダラムサラはチベット亡命政府として重要な機能を果たしている。
旅行者がダライ・ラマに会うことはなかなか難しいのだけど
彼と同じ空気を吸っている、というだけでもなんだか気分がいい。

体調を崩したからか、それとも旅の終わりが近づいたからか、
あくせく動くのが億劫になってしまった。
写真もろくに撮ってないし、脳みそが空っぽになったみたいにボーっとしている。
夏休みも残すところあと1週間ってとき、こんな感覚だったかも。

2010.05.18

chapati(indian bread) factory,amritsar,india


朝6時に目が覚めた。
昼にはダラムサラへ出発してしまう予定なので、せっかくだからと
もう一度、黄金寺院を訪れることにした。

明け方にもかかわらず、寺院は参拝客でごった返している。
信仰心のたまものか、それとも昼の暑さを避けているだけなのか。
そんなことを考えながら一昨日と同様に池の縁を時計回りにゆっくり歩く。

ひとつめの角を曲がったところで、丸縁メガネの老人に声を掛けられた。
彼に導かれたのは、25mプールをひと回り大きくしたくらいの大広間。
向かい合わせになるように座り合った人の列がいくつも出来ていた。
入口で手渡されたどんぶりのような食器を片手に、僕らもその列に加わる。
丸縁のおじさんが何か声を掛けると、大きなヤカンを手にした給仕がやってきて
どんぶりにどぼどぼとチャイを注ぎ込んだ。
小さなグラス2~3杯分ほどあるこのチャイが無料だというのだ。
さすがシク教。心が広い。

続いて案内してくれたのは、チャパティというインドのパンの製造現場。
無論このご飯も、無料でふるまわれるために作っている。
インドといえばナンを思い浮かべる人が多いだろうが、
チャパティはもっと素朴で安いやつだ。
大勢の人がこねこねしてぱたぱた焼いている現場と、
でっかい機械がごーごー大げさな音を立てながら製造しているところを見せてもらった。

機械といってもそれはとても単純な機構で、
ベルトコンベアーがチャパティの生地を運ぶうちに
こねて、均等な大きさに分けられ、プレスされ、焼かれて最後に籠にどさどさ落ちる。
手順が同じなので、まるでさっきの手作りしてた人たちが
そっくりそのまま機械に入れ替わったようだった。

しばらく観察してたのだけど、
どうも機械で作るご飯はモノを扱っているみたいでそっけない。
思えばインドに来てから、機械が作った料理なんて食べていないのだ。
(ポテトチップスとビスケットだけは別。)
でも、日本ではほぼ毎日コンビニ通いをしていたわけで
いっつも買ってたおにぎりやパンや弁当は、すべて工場産。
そんなもんばっか食べてたら、
そのうち日本人は体が機械になってしまうんじゃなかろうか。

2010.05.17

india-pakistan border,attari,india


アムリトサルから乗り合いジープで約1時間。
パキスタンと国境を接する町までやって来た。
といっても、パキスタンへ抜けようという訳ではない。
(行きたいのは山々だけど……)
ここでは国境閉鎖式が観光の目玉となっているのだ。
インド国内でパキスタンビザが取得できないほどに、国家間の緊張が強い両国ではあるが
なぜだかここだけは仲良く息を合わせているらしい。

観光客はインド側国境ゲートに面した、階段状の観覧席から式の様子を見守ることになる。
外国人はパスポートを見せるだけで自動的にVIP席へと通される。
VIPといえば聞こえはいいが、それはほんの少しゲートに近い席、というだけのもので
田舎の野球場の自由観覧席みたいに硬いコンクリの段々があるだけだ。
インド軍の兵士は座席の整理に余念がなく
彼らが来る度に座席が詰められて窮屈になった。

しばらく待つと、国境閉鎖式とはおよそ無縁な、ノリのいい音楽が響きだした。
じっとしていられなくなった若いインド女性たちが、次々と観覧席から下りて踊りだす。
兵士たちもそれを止めたりはしないから、きっとそういうための時間なのだろう。
彼女たちは円陣を組み、腕を上げ、腰を振る。
サドゥーたちは遠巻きから興味津々。
僕の尻は焼けたコンクリでじりじりと熱くなる。

続いて子供たちによる、インド国旗を掲げての50m往復猛ダッシュの
果てしない繰り返しを間にはさみ(その猛ダッシュは愛国心からなのか、
それとも注目されていることへの高揚感からなのかは不明だ)、
尻の熱も限界にきたところで、ようやく本題の閉鎖式が始まった。

格闘技イベントのような大げさなマイクパフォーマンスとともに
着飾った兵士たちが次々登場。
まるでチャップリン映画のように、これまた大げさに手足を振り上げ隊列を組み行進する。
愛国心を鼓舞され、叫び、旗を振り振り盛り上がる群衆。
インドに負けじと、パキスタン側でも兵士が勇ましく行進を開始する。
(ちなみに、少ないながらもパキスタン側にも観客はいる)
そして国境ゲートをはさみ両者がにらみ合うと、ガラガラとゲートを開き、キビキビと握手を交わし、タイミング違わずスルスルと国旗を降ろして、またガラガラとゲートを閉めたのであった。

始まりが盛りだくさんだったわりに、イベントはあっけなく唐突に終了した。
しかしインドのみなさんはみな満足げな様子で、
記念写真をパチパチ撮って、さっさと帰って行くのであった。

2010.05.16

golden temple,amritsar,india


ちょっと昼寝のつもりが、すでに夜の19時を回っていた。
窓の向こうに半端に暗くなった空を確認し、のそのそと外に這い出す。

ここアムリトサルはシク教徒の一大聖地だ。
シクのひとたちは頭にターバンを巻いているのでどこでも見分けやすいが
さすが聖地というだけあって四方八方ターバンだらけだ。
なかには(装飾品ではあるが)サーベルを売る店などもあって興味深い。

彼らシク教徒の総本山が旧市街に鎮座する黄金寺院である。
宿から黄金寺院まではわずか徒歩3分。
まだ開いているかな、と少し不安だったのだけど
涼の時間を見計らった参拝者でむしろ賑わっているように感じられた。

ルールに倣い、靴を預け、頭を布で覆い隠して寺院の門をくぐる。
正面の四角い池の中央に、黄金色した建物がぽっかりと闇夜に浮かび上がっていた。
その聖堂に続く一本道には途方もなく長い信者の列。

美しいな、と思った。
普段まるで建造物に興味がない僕がそう思ったことに、自分自身少し驚いた。
黄金寺院と同様に美しいインド建築として挙げられるのが
かのタージマハルであるけど、あっちより好きかも知れない。

ちょっと考えて、きっとそれはコストパフォーマンスによるのだろうと理解した。
黄金寺院は無料。
タージマハルは750ルピー(インド人は20ルピー)。
定食屋『なのに』うまい、というさじ加減が僕は昔から好きなのだ。
高級料理がうまいのは当たり前。
高い金を取る限り、タージマハルに勝ち目はない。
2010.05.16
IMG_9122.jpg
main bazaar(in the morning),new delhi,india


昨日、3カ月ぶりにニューデリーに帰ってきた。
ダージリンは霧でモヤっていたけど、駅前のメインバザール(安宿街)は土埃で視界が悪い。
なんでも半月ほど前から道路工事を行っているらしい。
あちこちに瓦礫の山ができ、まるで戦後復興中のような、妙に荒廃した雰囲気になっていた。

今回デリーで果たすべき仕事はただひとつ。
帰国のフライトチケットの入手である。
本当はいろいろと価格を比較したいのだけど、時間もないし
テロの可能性が指摘されているエリアにのこのこ行きたくもないので
宿の近くにある旅行代理店でチケットを取ることにした。

6月2日、朝8時日本着。これで決まりだ。
乗り遅れさえしなければ(あと騙されてなければ)。
ありがたいことに成田直行便。
1日の夜にエアーインディアでデリーを発つ。
価格は21100ルピーだから4万円ちょっとということになる。

長かった旅も残すはあと2週間。
あとはインド北部のハイライトをぐるっと周る予定だ。
ターバンの町、ダライラマの町、ヒンドゥーの町、ヨガの町に行ってきます。

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